懐かしいという感覚は後ろ向きじゃなく明日へ向かう

懐かしいという感覚は後ろ向きじゃなく明日へ向かう


私は以前に学校に勤めてましたが、描くことを自分の生きる場所と決め、絵描きになる道を選びました。しかし、当初は四苦八苦してあまり作品を仕上げてませんでした。自分の中ではいろいろ考えて、スケッチなどをして、自分では仕事をしているつもりでしたが、世の中の展覧会などには出品しないものだから、周りは絵を辞めたんじゃないだろうかと、思うわけです。「ちゃんと絵を発表しないと忘れられるよ」などと言われたり。だけど「僕はそんなつもりでやってるんじゃない」と、違和感を感じ続けていたのです。公募展への出品は絵を描く目的とは違うということで。

私が生まれたのは大隅半島の高山町で、個展のタイトル「故郷」は、「自分を育んできた懐かしい故郷」でもあり、「新たな故郷」でもあるという捉え方で、懐かしむのではありません。生きてる以上、いろんな生き方を探している。そして、絵を描くということは、自分に足りないところを一生懸命補っていく、そういう気持ちなんです。ですから、常に自分はまだまだこんなものではないんだという、少しでも自然な方向に自分を持っていきたいと思ってきました。故郷は、常に自分の新たなものを探し続ける起点です。私は故郷を離れ、東京に行き、いろんなことを思い出しながら過ごしていたわけですが、結局、自分はどこへ行こうとしてるのかを探してたわけです。

よく私の絵を見て、ホッとするとか、懐かしいということを言われますが、その懐かしいという感覚ってなんだろうと思うことがあります。それはただ振り返るというだけじゃなく、何らかの幸福感につながるものがある。だから懐かしいという感覚は後ろ向きじゃなく、ホッとする明日に向かう充足感でもあるんじゃないかと。





絵を描くとそこに自分がある


絵描きである以上、自分の表現のスタイルというものを探し求めますが、それは自分って何だろうと考えることと同じことです。個性は自分の中に何があるかということです。自分は当然一人で生きているわけじゃありませんから、いろんな人との関係で生きていて、また、いろんな人から吸収させてもらってます。そして、例えば私の絵を見て、もし真似をしたいというならそれは嬉しいことです。

でも、自分の中に何かがあるとしても、それは今まで自分がどこからかで受け取ってきたことです。じゃあ、その中で自分の個性とは何かというと、あえて自分の個性は考えなくてもいいんじゃないかと思うんです。自分を見つめるとイヤな面ばかり見えてくるような気がするんですよ。今、こうお話してても、外側から自分を、見たくないなあなんて思う。で、本当の自分の姿ってなんだろうって、鏡を見てもそれは逆さですよね。自分って自分の肉眼で見ることはできないんです。だけど、絵を描くとそこに自分がある。そこに描かれた線に現れてしまう。私は最初、絵を始めた頃、人と共感しあえる自然な感覚を持ちたいと思っていました。そういった意味で普通というか、平凡というか、人と同じでありたいという感覚ですかね。

私は絵を描くことを、作品を創り上げたいという感覚じゃなく、絵を描かないと自分はとんでもなく落ち込んでいってしまうのではないかという不安から逃避する感覚で始めました。必死で絵にすがるような、絵しか自分を支えるものがなかったといいますか。だから、絵に代わるものをある意味、ずっと探し続けているのかも知れないんです。だから、もし絵が自分に無かったらどうなっていたんだろうと思いますし、職業画家という立場は本来は不自然なことかも知れないなとも思います。本来絵は、自然な毎日の中で生活を豊かにするもので、例えば自分の子供の絵を額縁にいれて楽しめたらいいんじゃないか、たまには他の人の絵も飾ってみたいなあと思うんです。

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