「私の中に新たに鹿児島と向き合う心が目覚めた」

写真展を振り返って
~私の中に新たに鹿児島と向き合う心が目覚めた~ NPO法人 PandA 代表 早川由美子

当初、乗り気でなかった私が、
渡欧してアーティストと触れ合い一気にやる気に!
試行錯誤の末、練り上げたプレ・イベントは大成功!
そして本番の写真展開催へ。
来場者の約4割がアンケートに記入する驚きの回答率!
地元鹿児島を愛する言葉に感動し、
私の怒濤の写真展は終わった。。。。


ワクワクしない・・・

2008年1月12日、アーティスティックディレクターである菊田氏から初めてこの事業の概要説明を受けた。私にはすべてが初めて聞くことであったが、既に写真集も出来上がっているのを見て、ずいぶんと前からこの企画は動いているのだと感じた。

そして、逆にそこまで進んでいる企画に私が今更どのように関われるのかとイメージできないでいた。何よりその写真集を見ても心揺さぶられるほどのものはなかったというのが正直なところだった。でも、このヨーロッパ人の眼から見た鹿児島を映し出した写真展を開催することが、この鹿児島にとって何か意味あるものでなくてはならないという思いはよく理解できた。

けれど、思いを理解することと、自分が前向きにそれに協力できるかどうかは別なことで、アートとしての「写真」に縁遠かった私は、はっきりいって乗り気ではなかった。ワクワクしないのである。私は自分がワクワクする仕事しかしないことを心がけていて、それは必ず結果に出ることを痛いほどよくわかっているからである。


渡欧して俄然やる気に

しかし、企画責任者や関係者に度々お会いする中で、「とりあえず、写真家に会ってみてください。それでも、やる気がおこらなかったらそれでもいいです。」という言葉に賭けてみようと、バタバタと2月初め、単身、渡欧した。

まずは、ルーマニアでニク・イルフォヴァーヌ氏に、4日目にイギリスに移動し、スティーブン・ギル氏にお会いした。初めてそれも単身で会い、限られた時間の中で、関連企画の内容をある程度決めることは難しいことと思われたため、前もって、菊田氏からお聞きしていた彼らの情報(性格や好み、仕事に対する姿勢など)とリクエストから、たたき台となる案をいくつか準備し提案する形で話を進めた。

話はスムーズに進み、提案内容もそれぞれに気に入っていただけたようだった。何より、それらをやりとりする中で、彼らの人間性と真摯な作家活動への意欲と姿勢を知り、いつのまにか、実際に彼らと楽しげに何かを共に作り上げているイメージが頭の中に浮かんでいて、かなりワクワクしていた。俄然、やる気になっていたのである。

 

 

イベントの企画を練る

帰国後、その旨を企画責任者に伝え、私のこの写真展に関する本格的な活動が始まった。私の役目は、写真展に先行して行いたいと主催者が考えている「関連企画」(プレ・イベント)を開催することと、写真展全般におけるサポートであった。

まず、関連企画の作るにあたり最も大事にしたコンセプトは、写真家自身が望む形で実現することと、参加者・鑑賞者に、写真展をぜひ見たい!こんな写真展がこの鹿児島で開催されてよかった!と思えるような内容にすることであった。

そして、企画したのが、写真家とアーティスティックディレクターを講師とした「写真展を100倍おもしろく観る方法」と銘打ったセミナーの開催と、写真家が企画・案内する野外写真ワークショップ、そして地元写真家も加えたシンポジウムの開催という、彼らのリクエストをすべて盛り込んだ2日間で催すには多すぎるほどのものとなった。

この企画内容が決定するまでには、頭の中でも試行錯誤だったが、実際に、検討、準備、交渉、決定する中でも、さまざまな葛藤や喜び、悩みの繰り返しだった。現地の打合せで大体の内容は決めてきたとはいえ、シンポジウムの地元写真家パネリストの選定から、会場やプレゼンテーションで使用する機材のオーダーまで、はるばるこの鹿児島に来てこの地を写真に収めてくれた彼らが、輝くように、楽しんでもらえるように、ひとつひとつ吟味し、本人への確認も逐一行った。

彼らの写真のイメージを壊さずに伝えたいという演出と、一度しか会ってはいないけど、現地で話した彼らの眼差しや思いを裏切りたくないと思ったからである。







写真展を振り返って
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