PandAができたのは

コンセプトPandAの役割

PandAができたのは

子どもが子どもを殺すという目を覆いたくなる事件が起きたのが1997年。それ以降も、子どもが犠牲になる事件が毎年のように起きていた。私にも何かできることはないんだろうかと漠然と思っていた。

私は、小さい頃から絵を描くのが好きで、身体が小さく病気がちで学校を休むことも多かったが、チラシの裏とか無地の紙を見つけては絵を描く、そんな幼少期だった。絵を描くことは、私にとって、ひたすら自由で元気で無限の世界とつながっていた。

なんでこういう事件が起きるようになったんだろうと考えた。何か心に足りないものがあるのでは?親子のコミュニケーション不足?小さい時に何度も何度も見たい絵本に出会っていなかったから??自分の中から湧いてくるあの無限で自由な感覚に出会っていないなんて、なんてもったいない・・・。そんなことを考えながら、誰かひとりでもこんな寂しい事件から救うことができたらと思い、絵本作家を目指してみようと考えた。30代も半ばの私。今更とか、なれるかなとか、全く考えず、純粋に「絵本をつくろう!誰かひとりでも救いたい!」とキラキラしていた。

絵本とはいえ、人様に見せる本を描くのだから、また学び直さなければと、会社員をしながら通信大学に入り、まずは勉強の日々。イギリス文学、フランス文学、ロシア文学、西洋古典美術から能・歌舞伎、現代アートまで、さまざまな文化芸術関連の科目を勉強する中で、「アーツマネジメント」と出会った。単なるノウハウを超え、さまざまな領域に関わり、大きな歴史的な・文化的な背景を背負っている大切な学問分野と知る。社会の変化、人々の生活水準の上昇した現代社会、「アート」の需要が高まっていながら、その制作の現場と求める側の橋渡しが上手く機能していないところが多々ある。アートは嗜好性の高いものだし、一般消費財とも全く違う「値段」の確立しないものだ。そんな性質を捉えた上で、より多くの人に「アート」を結びつけていく「アーツマネジメント」の数々の手法。文化芸術には「作る」「観る」以外に幅広い世界があることを知った。何でも手に入る世の中になり、一見豊かに見える世の中だが、先述のような悲惨な事件が起こってしまう暗闇も内包する現代社会。そんな社会に光を導く方法として、さまざまな形に変化し、それぞれの心に響く何かを伝えられる「アート」の有効性を確信した。

これだ!と思った。絵本は、いくらいいものを作っても手にとって見てもらわなければ伝わらない。
でも、アーツマネジメントで実現できる世界なら、大事なこと、伝えたいことを、アートを通してより多くの人にわかりやすく楽しく伝えられるかもしれないと思った。救えるのが、誰かひとりから、大勢になるかもしれないのだ。絵本という作品づくりで伝えようとしていた私、「場」や「関係」それをも含む、もっと大きな仕組み、取り組みを作品としたらおもしろいんじゃないかと思った。作り続ける苦しみと喜びを感じ続けることができる作品。大切なことを伝えて続けていくには、自分自身が感じ続けていることが大事だと思ったからだ。目の前がみるみる広がっていくビジョンが見えた。明るい世界が見えた。

絵本作家になろうと勉強し始めて、偶然出会ったアーツマネージメントの世界。作家が作品を作れば、すぐに展覧会ができるわけではない。そこには会場を作る人、広報を考える人、展覧会自体を運営する人ほか、多くの人たちの支えがあって初めて実現するという普段は気付かない世界がある。でも、実際は、作家よりそういう人たちの数の方がずっと多い。それらの人たちがひとつになって作る世界も、また、ひとつの大きな「作品」といえるのではないだろうか。私が PandAでやっていきたいのは、「場」や「関係」を作品と捉えることもできるアーツマネジメントによる表現。この世界に、今、私は夢中なのだ。

 

早川 由美子